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吉田松陰はROMしない

[2024.05.07]

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

そんな鉄血宰相ビスマルクの格言があります。
個人の経験は限りがあり、歴史に学ぶことでより良い生き方ができる、というように解釈しています。
私は歴史には疎い方で、学生時代に試験のために最小限の事柄を暗記した程度の知識しかありません。
そもそも歴史は塗り替えられて、常識がアップデートされて今があるのだから、今を学ぶことで十分ではないか、などと思っていたところもあります。
昔のことは考古学的趣味としては良いけれど、学ぶことを強いられるのに心理的抵抗がありました。
そんなこんなで歴史を学ばない愚者としてこれまで生きてきました。

今回の連休は山口県の萩市を訪れました。
そこで吉田松陰のゆかりの地や、松下村塾などを観光がてら見学しました。
そこで松陰の動く模型などを見ながら、その人生に思いを馳せました。
以下は資料館を訪れてみただけの、私の個人的な感想、解釈、及び妄想です。
9歳で教師のような立場になり、11歳で藩主に講義するというとんでもないIQが異常に高い子ども、神童だったのかなと。
とにかく学ぶことに貪欲で、日本全国で遊学し、幕府や藩が決めたルールなどは確信犯的に破ってでも学んでやる、という熱が強い。
実際それで処罰されたりしているが、別に懲りたりはしない。
鎖国中の日本で、海外の進んだ技術を見聞きして、このままでは日本が攻め込まれる可能性などを考えて、黒船にたった二人で小舟で乗り込んで追い返されて、投獄される。
松陰ほどの頭脳の持ち主であればそうなることは十分予見できたはずだが、それでも行動を起こす、それしかない、と思ったのだろうか。
首尾一貫して、信念のためなら、命を惜しむようなところが全くない。
その後も牢獄でも周囲を教育し、その後も明治維新の偉人たちを多く育てたということでその情熱と覚悟、行動力、影響力には驚くばかりであった。
安政の大獄で斬首刑になる前の獄中でも志を同じくする同士と出会い、死後彼らと連携するよう弟子に伝えている。
そう、松陰は現代でいうところの強烈なインフルエンサー、革命家であったと思われる。
この時代にSNSがあったなら、と思わざる得ない。
諸外国の状況と日本の状況をYoutube大学ならぬYoutube松下村塾として全国の視聴者に大いなる学びを与えていたであろう。
黒船潜入もライブ配信し、莫大な数のフォロワーを集め、幕府も無視できない存在となり、おそらく斬首になることもなかっただろう。

そんな妄想が浮かんでは消えました。

松陰の教えで、書物は読むだけではだめで、読んだら必ず自分の手で要約をしなさい、というものがあった。
その教えを守って、こんな要約を書いてしまいました。
やはり松陰の影響力はすごい。

注:ROM 《read-only member》俗に、ネット上で自分からは発言せず他人の発言や掲示を読むだけに徹すること。また、その人。読み出し専用メモリー(ROM)になぞらえた語。「ロムる」と、動詞のように使うこともある。

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