恐竜とメガネの聖地
あまり知らなかったのですが、福井県は恐竜とメガネの聖地のようです。
今回、お盆休みを利用して福井県に行ってきました。
片道6時間程度の運転、結構遠いですが、北海道に住んでいた頃の感覚ではちょうど札幌から釧路に行くくらいの距離なので、まあそんなものかな、という感じでした。
運転は眼科の手術に似ていると思います。
目で見て認知、頭で判断、手や足を使って行動、この繰り返しです。
早く進もうとするせっかちな人もいれば、ゆったりと音楽を楽しんだり、道中を豊かに過ごそうとする人もいます。運転は性格が出る、とも言われます。
私はどちらかというと、のんびり派です。
抜かされようが、渋滞してこようが、あまり気になりません。
そんなこんなで福井県にたどり着いたのですが、福井県は恐竜の化石が多数発見されたとのことで、街中の至る所で恐竜のモニュメントや看板を見かけました。
福井県立恐竜博物館は大盛況で、予約チケットをネットで予め購入しておかないと売り切れて入館できないほどでした。
行こうかなとご予定の方はホームページやXで情報を確認されることをお勧めします。
それにしても、化石を発見した時の話はなんとなく心惹かれます。
なんでもない崖にちょっと色の違う岩があって、あれは恐竜の化石かもしれないと思って掘り起こして鑑定してみたら、本当に恐竜の化石だった、なんていう話はとてもロマンを感じます。
そんな話を見聞きした後は散歩道の壁なんかをまじまじと見てしまうものです。
4大陸がまだ人繋がりの大陸であった頃は、どこに恐竜が居てもおかしくないはず、そう思うと今でも人の手が入ってない場所では、どこでも本当に化石があってもおかしくはないんだろうな、なんてことを思いました。
さて、今回のもう一つの目的地は福井県鯖江市でした。
鯖江市は全国のメガネの生産の9割以上を占めるという実は有名なメガネ生産地です。
世界の三大メガネ産地でもあるそうです。他はイタリアのベッルーノと中国の深圳。
そうなると目の治療を生業にしているものとして訪れておかなければならない、ということで行ってまいりました。鯖江市のメガネミュージアムへ。
そこでは、メガネの歴史、すなわちそれはレンズの歴史でもあるのですが、詳しく紹介されていました。
カール・ツァイス、アッベなど、眼科医としてはピクッと反応してしまう偉人の名前が出てきて、興奮気味に閲覧しました。
以下、レンズの発明にまつわる偉人を紹介します。
ドイツで生まれたカール・ツァイスはギムナジウムを卒業後、イエナ大学で数学、物理学、光学等の講義を聴講しつつレンズ製作をしていました。
その後、光学機械製造のための工房を開設し、1847年にツァイス初めての顕微鏡となるシングルレンズの顕微鏡が製造されましたが、ツァイス自身はその性能に満足しませんでした。
ツァイスは自分が製造している顕微鏡には、確固たる理論的な裏付けも少なく、それを発展させるには科学的な理論と計算に基づいた顕微鏡の製造の必要性があると考えていました。
その年、ツァイスは以前から仕事上で交流があった若干26歳のイエナ大学の物理学者エルンスト・アッベに顕微鏡製造に関する協力を依頼します。
それから2人は膨大な作業を伴う顕微鏡光学系の設計製作に打ち込み、1872年にアッベの公式の代名詞となる光学顕微鏡の結像理論に関する公式を発表。世界で初めて科学的な理論に基づいて製造された顕微鏡対物レンズが発売され、近代光学の新たな時代が始まりました。
2人の共同作業により世界で初めて科学的な理論に基づいた光学顕微鏡製造の基礎が築かれましたが、まだ解決できない大きな問題(残存収差)がありました。当時はフランスやイギリスに優れた光学ガラスを作る会社がありましたが、そこから供給される光学ガラスでは理想とするレンズが出来ず、それを解決するためには、光学ガラスの改良が必要であるとアッベは考え、光学ガラスの改良にも着手しましたが上手くいきませんでした。
ガラス製造で試行錯誤していた1879年アッベの元に郵便物が届き、その中にはガラスが数枚と「私が作った新しいリチウムガラスをテストして頂けないでしょうか?」と言う文面の手紙が入っていました。
その手紙の送り主がオットー・ショットです。
ショットは1882年にツァイス・アッベの援助を受けてイエナに小さなガラス工業技術研究所を興し、膨大な時間と費用をかけて次々に新しいガラスを製造し、アッベが光学特性を調べて百数十種類もの新種の光学ガラスが生まれました。
この出会いで器械製造業のツァイス、物理学者のアッベ、ガラス職人のショットの3人による歴史的な共同作業が始まり、顕微鏡をはじめとして、写真レンズ、双眼鏡、望遠鏡、測距儀、測定機器、医療機器、プラネタリウム、視力補正用具としてのめがねレンズなどの各種精密光学機器の歴史的な近代光学の突破口が開き、日本の光学産業も後に続くようになりました。
どうでしょう、私にとってはたまらない話です。
当院で使用している、診察用のスリット器械、手術用の顕微鏡、その他検査器具の一部はカール・ツァイス社の製品です。
高精度のレンズメーカーとしては他にライカ、ニコン、キャノンなども有名で、優れた眼科機械も作っています。
しかしカール・ツァイス のZEISS社のロゴは眼科医にとっては最もスタンダードというか安心感を感じる存在です。
そのツァイスが眼光学ではアッベ数などで知られるアッベとの邂逅があり、そして天才職人のショットとの歴史的共同作業で今のレンズが関わる全ての分野の発展が起きた、ということを知る事ができました。
私が今やっている仕事はこれらの偶然なのか必然なのか、天才たちの引き合わせ、そして探究心や努力もよってもたらされている、ありがたいことだと心の底から思いました。
この写真の1950年のスリットランプの検査機器は、現在のものとほぼ同じで、今日からこれで診察して下さいと言われても使えそうで驚きました。